宮城県七ヶ浜町の災害ボランティアに参加しました
鈴木歯科医院では4月から歯ブラシの売り上げの全額を義援金として募金しており、総額も86745円となりました。患者様のご協力に心から感謝いたします。ありがとうございました。
このほど私は宮城県七ヶ浜町の災害ボランティアに参加してきました。そしてメディアでは分からない被災地の現状を垣間見、今一度支援のあり方を考え直すべきだと感じましたので皆様にご報告いたします。
松並木が美しい七ヶ浜町は仙台市中心部から車で一時間弱ほど。半島をぐるりと海が取り囲む小さな町で、東日本大震災では大きな被害を出しました。具体的には死者、行方不明者合わせて100人以上を出し、また何百という家屋が流されました。震災から5ヶ月が経過した現在でも瓦礫の撤去におわれており、1日に30~200人ほどのボランティアのみなさんが懸命に被災者支援をおこなっています。
ボランティアに参加し、一番衝撃を受けたことは現地でボランティアに参加している人たちが、カップラーメン1つで瓦礫撤去の作業に追われているということでした。
ボランティア参加者は食料を持参していますが、被災地にとってより戦力となる長期ボランティアの皆さん、そして自らも被災者でありながら町の復興に尽力する皆さんにとっては長期間の食料を独力で確保することは難しく、一般の方から被災直後に支援物資として送られたカップラーメンなどで食事をすることが多いようです。
しかし、月日が経つにつれ支援物資は頻度が減り、カップラーメンの在庫は少なくなり、本当に困っているということ話を伺いました。その他、被害の大きかった海沿いに瓦礫撤去に向かう場合には水道がないためペットボトルの水・お茶などを持参しなければならずそれらも不足しているようです。
これまで、私たちは日本赤十字社を通じ募金を行ってきました。しかし、残念ながらそのお金はボランティアセンターや個人などの本当に困っている人たちには届きづらい状況にあるようです。現地では赤十字からの義援金はまだ本格的には届いておらず、消耗品を買うほどの余裕がないとのことでした。
鈴木歯科医院では今後復興の前線基地であるボランティアセンターの窮状を考え、微力ではありますが直接支援に切り替えることを考えていきたいと思います。
■被災地の今
細かい瓦礫はほぼ片付き、高台の空き地に20mになろうかという瓦礫の山が出来ています。ボランティアセンターに到着するとまずその光景が目に入り、本当に背筋が寒くなりました。
ボランティアセンターを運営する方のほとんどが被災された町民の方々です。家も仕事もなくした方がほとんどで、その日その日をただなんとか生きていると話していました。
大きな瓦礫は今だ放置されています。草に覆われた田んぼや畑の中にひしゃげた車や一軒家の二階部分が流れ着いていました。美しかった海岸線の松並木はほとんど立ち枯れ、元の風景は想像も出来ません。
町としての復興プランは白紙の状態で、住民としては途方に暮れているとのことでした。重機もかなり複雑な申請を行わなければ使用できず、人の手で少しずつ撤去や清掃を行っている状態です。
あの震災以来“がんばろう日本”というキャッチフレーズをよく聞きますが、その光景を目の当たりして、正直私はがんばれないと思ってしまいました。現実はそれほど凄惨で、壮絶なのです。
しかし、住民の方々は笑っていました。本当に何千、何万の人の支援と、心がうれしいと。生かされた命に今は感謝したいと。そりゃあ生きていくだけで精一杯だけど、なんとかするぞ、と。
思わずがんばれないと思ってしまうようなこの現実を受け入れ、乗り越えようという被災者の方々の勇気や生きる気持ちに本当に感銘をうけました。復興は本当に始まったばかりです。
どうか・・・継続的な支援にご協力をいただければと思います。
被災直後の様子
8月2日 七ヶ浜町の現状
8月2日 七ヶ浜町の現状